タバコをやめて1年と8ヶ月がたちました。
そのきっかけとなったのは、昨年(2007年)の春の一本の電話でした。
その電話は、母が末期の肺がんであることを知らせるのもでした。
タバコも吸わず、お酒も飲まない、どちらかというと健康そのものの生活を送っていた母でしたが、ちょっとした身体の不調に気づき、病院で検査を受けた結果は、Ⅳ期の肺の腺がんでした。
Ⅳ期とはすでに進行の最終状態であり、さらに悪いことには脳にも転移が進んでいるとのこと。
一般的に、肺がんは症状が出にくいために、発見が遅くなってしまうことが多いそうです。
母の場合も、思考が思うようにできなかったり、言葉が出なくなったり、視界がぼやけたりと、脳への転移が原因となる症状が多く見られるようになってきたことが発見のきっかけでした。
すぐに地元の病院へと入院し、イレッサなどの抗がん剤で肺の癌進行を抑えながら、脳にできた複数の腫瘍を摘出するために、手術と放射線によるガンマナイフ治療を重ねました。
手術は成功し、マーカーの値も激減。無事、退院できたのが、昨年の夏のこと。
しかし、脳の治療の影響でしょうか、片目の視力を失ってしまったのもこのころでした。
それからしばらくは、体調もよく、知人と北海道旅行を楽しんだり、家族で食卓を囲んだりと、普通の生活を送ることができていましたが、今年の9月になって、腰の痛みを訴え、再び入院。
再発した癌は、再び脳に複数の腫瘍をこしらえ、そしてその一部は脊髄にまで転移しているようでした。抗がん剤を、認可されたばかりのタルセバなどに切り替えつつ、様子を見ていましたが、症状は悪くなる一方。
下肢のしびれなどによって、ついには歩行が困難になってしまい、見た目にも少しずつ元気がなくなり、見舞いに訪れた私たちに対して、いつものように気丈に振舞う様子を見せないようになっていきました。
放射線の全脳照射治療などで、脳の癌の縮小を狙いましたが、思うように効果を得られず、体力を失っている母に対してこの時点で効果的な治療は、ほとんどないとのことでした。脳や脊髄といった部分は、身体の中でも中枢にあたるので、逆に外的な薬や治療も届きにくいところのようです。
何か手はないものかといろいろ調べてみたり、奇跡を信じてみたくなる気持ちのなか、家族に対して医師から数ヶ月という余命宣告が出たのが10月でした。
緩和ケアを主体とした病院へ移転したのち、ベッドから起き上がることすらできなくなった母を、父と祖母が看病する日々が続きました。
徐々に食事も思うように採れなくなってしまい、少しづつ病状が進行していきます。
そして、12月17日早朝に、静かに息を引き取りました。55歳という若さでした。
とても苦しい闘病生活だったと思います。
しかし、父からの献身的な介護とサポートの中で、病室においてではありますが、とても濃い家族の時間を持つことができ、母も幸せだったのではないでしょうか。
故人の意思を尊重し、広島の自宅にて静かに行った葬儀では、彼女を知るほんとうに多くの友人・知人に来ていただき、暖かい弔いの言葉をたくさんいただきました。
母は本当に多くの友人に恵まれた人でした。
生前、彼女の話す会話の中には、常にいろんな新しい人が登場してくる、そんな友好関係の広さを持つ人でした。
改めて、母の偉大さと寛容さ、そして優しさを知った気がします。
私自身は、10年以上も前に親元を離れて以来、それほど多く顔を見せることもしなくなり、健康であったころの母とはそれほど多くの時間を共有することはありませんでした。
そんななかでも、きっと息子をもつ多くの親がそうであるように、適切な距離をおきながらも、ずっと私たちを見守ってくれていたことを、いま改めて感じずにはいられません。
病に倒れてからの母とは、これまでにないほどよく顔をあわせるようになりましたが、照れくささもあってか、なかなか本音で自分から感謝の気持ちを伝えることもできないままだったようにも思います。
あなたにとって、私たちは、よい息子だったでしょうか。
そんな、答えを求めない問いが、ふと頭をよぎったりもします。
まだ、これから多くのことを教えてもらい、これから多くの恩を返していくという年齢だっただけに、実に残念です。
あれから10日が経ちました。
今週から、少しづつ仕事にも復帰しました。
まだ、気持ちの整理がついてない部分もあり、頭がぽーっとしている部分もあります。
もしかしたら、まだ実感がわいていないのかもしれません。
しかし、こうやって少しづつ現実の生活に戻る中で、悲しみを含め、さまざまな思いをひとつずつクリアにしていこうと思っています。
そして、これまで以上に、日常での出来事と健康に感謝することを忘れず、そして生きることの意義をしっかりと見つめなおしながら、2009年を迎えようと思います。
私にとっても、とてもいろんなことがあった1年8ヶ月。
健康そのものだった母がそうであったように、私たちもいつ同じような病になることがあるかもしれません。
同じような状況の人だったり、将来の私たちだったりに、少しでも何かの貢献ができればと思い、このエントリーを書いてみました。
ここに改めて、感謝の気持ちをこめつつ、冥福を祈ります。