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2009年01月01日
貧困の光景
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曽野 綾子氏による、アフリカ諸国における貧困の真実を描いたノンフィクションレポート。
著者が自身の慈善活動を通してみた真実の光景がそこにはある。
「ルポ 貧困大国アメリカ」もそうであったが、飾ることのない真実は、ときにフィクションよりも重いテーマを私たちに突きつける。
本書に描かれているのは、日々の食事に困っている家族、教育を受けられない子供たち、満足に治療を受けることができない幼児といった、私たち日本人の多くが、抽象的に理解しているようなものではない。
慈善団体から恵まれたお粥を家族のために自分で食さずに汚れたポケットに入れて持ち帰る子供たち、着るものがないために寄付された毛布を明日の糧のために安値で売らなければいけない家族、屋根のないレベルの住環境における大人の性生活に影響されて増え続ける非成人のエイズ感染と人口問題に直面する集落。
お金や形のあるものは盗まれて失うリスクが常につきまとい、手に入れた糧や資産は家族だけではなく親族全員で分け合うべきもの。そういった私たちの想像を超える貧困国の常識のもとでは、少しばかりの形のあるモノの援助や、全体の一部の人数に対する支援といったものは、ほとんど効果を奏しない。
その結果、お金の向かう先は、私たちが意図しない方向に向かうことになる。
学校の規模を大きくし給食を与えるために行った金銭の支援をその校長が持ち逃げするといったエピソードが語るように、北の諸国から支援された金銭は、その多くがそれらの国の上層部に私物化されたり、汚職によって消えていくということが日常であるという。その校長のモラルの低さををどうこう批判するものではなく、それが常識であるという環境自体に問題があるのであろう。
著者自身、支援した場合には、その援助が確実にアフリカの末端の人々にまでいきわたっていることを自分の足で確認するといっているのには、そのような理由がある。
私自身も、大手の寄付団体を通じて定期的に金銭支援を行っているのだが、果たしてそのお金が、どのような使途で用いられているのかとても気になるところである。
そういった「正しい」と思われる行いが、きちんとその役目を果たせるような仕組みがないと、この問題は解決の方向に向かうことは難しいのかもしれない。
突発的な自然災害に対する支援ももちろんであるが、こういった慢性的な貧困に対する支援活動の重要性は高い。
この国際化時代を生きていく上で、日本に生まれた私たちができることはいったい何なのか、この本によって与えられたテーマは実に大きい。
この世界的な経済不況のなかで日本のODA予算も縮小している状況ではあるが、中間コストを削ったり、組織による不当な搾取を撲滅するなどして、適切な支援が実行されることを願うばかりである。
投稿者 orval : 2009年01月01日 20:31
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